船の甲板に出ると、海鳥と雲の白に目を奪われた。
 何処までも続く、海の青と空の蒼。
 まるでそれらは今の俺の気持ちそのままで、俺は先程思い付いた一世一代のひらめきを、早く大好きなあの子へと伝えたくて仕方が無かった。
 何時も、俺の心は嵐の空と海の様にどんよりと荒れていたけど、今は驚く程に落ち着いているんだ。
 それはきっと、凄く簡単で、でも気付けなかった事に気付けたから。
 どうして今までの俺は、こんな簡単な事に気付かなかったんだろう。
「テッド!!」
 人気の無い甲板の隅で、ひっそりと海鳥にまんじゅうの切れ端を与えていたテッドを見付ける。
 大きな声でその名を呼んで、手を振りながら駆け寄った。
「アノイア?」
 何時に無い様子の俺に、テッドは少し戸惑っている様だった。まぁ、俺がテッドの前でこんな風な態度をとる事なんて無かったから、驚くのも無理ないのかもしれない。
「お昼中だった?」
「…ん」
 にこやかに笑いながらそう尋ねれば、テッドは持っていた袋からまんじゅうを一つ俺にくれた。
「腹一杯だから、お前にもやる」
 まだそんなに袋の中にまんじゅうがあるのに、見え透いた嘘で俺を甘やかすテッドが愛しいと思う。
 少し逸らされた視線も、赤く染まった耳も、照れると少し早口になる癖も。全部、全部愛おしかった。
 あぁ、テッド。俺はそんなお前が大好きだ。
「ありがと。なぁ、テッド」
 貰ったまんじゅうを食べながら話し掛ける。
「なんだよ」
 俺の方を見ないで、再び海鳥に餌をやり始めたテッドが答える。
「テッドはさ、食べるって、食事って好きか?」
 テッドは少し眉間に皺を寄せて考えていた。
「……人は食べないと生きていけない。其れは真の紋章を持っていようが同じ事だ。だから、食べるという事は生物にとって必要不可欠な行為だと思う。食べるという行為を好きとか嫌いとか思った事は無い」
「でも、テッドは魚嫌いって言ってたじゃん」
 テッドの眉間の皺が深くなる。
「それは食べ物の好みだろ。質問の意図する所が違うだろ」
 テッドは未だ俺の方を見ない。ずっと何処までも続く空と海を見ている。
 だけど、俺の方に意識を向けているのが分る。こう言う時、テッドに好かれてるって自覚できて、俺はこういう遣り取りが嫌いじゃなかった。
「で、お前。結局、何しに来たんだよ」
 呆れた様にテッドが尋ねた。小麦の穂色の髪が、日射しを受けて黄金色に輝いている。
 琥珀の瞳は、やはり延々と続く青を映していた。
「俺、ずっと考えてたんだけどさ」
 貰ったまんじゅうを平らげて俺は口を開いた。
「何をだよ」
 テッドが訝しげな声で聞き返して来る。
 そんなテッドに俺はやっぱり愛しさを感じて、自分は重症だと思う。自分でどうしようもないくらいテッドの事が好き過ぎる。
「テッドとずっと一緒にいる方法」
「馬鹿か」
 俺が真剣に言ったのに、テッドは一瞬で切り捨てた。こっちを見てもくれないし、ちょっと、冷たいんじゃないか?
「でもさ、俺ってこのままだと罰の紋章で死んじゃうじゃん」
 漸く、琥珀の瞳が俺を映してくれた。だけど、その瞳には悲しみとほんの少しの怒りが含まれている。
「縁起でもない事言ってんな。俺以外の誰かに聞かれたらどうするつもりだ」
 その言い方だと、テッドの前ではこういう弱音を吐いても良いってことだよね。やっぱ、テッドは優しいな。
 そんな風に優しくされるから、俺がどんどんつけあがっちゃうんだぜ。其処ん所、分ってないだろ。
「だから、俺がこの紋章で死ぬ前に…」
 この願いがテッドの優しさに付込んだ物だって分ってる。自覚してる。でも、止められないんだ。
「……」
 何を言うつもりだ、テッドの瞳がそう問い掛けて来る。
 俺は、テッドの目に俺だけが映っている、その事実に快感を覚えて、同時にそんな自分に呆れた。
「俺を食べてよ、テッド」
「…え?」
 一瞬、何を言われたのか理解できないという様な声を上げたテッド。分るよ。だって、こんな願い、自分でも狂ってるとしか思えない。
 でも、心の底から俺はテッドに食べられたかった。何も残さずに死ぬなんて嫌だった、俺が居たって事をテッドに覚えておいて欲しい。テッドに俺が居たって証を残していきたい。
「肉でも命でも何方でも良いから、俺を食べてくれ、テッド」
 そうすれば、俺はお前の一部になって、消えた後でもずっと一緒に居られるだろ?
 狂人の発想だって、お前は言うんだろうな。そう思ってくれて構わない、だから俺を食べてくれ。
「ぉ、お前…何、言って…」
 青ざめるテッドに俺は笑ってこう言った。
「約束だからな」
 テッドの顔から色が消えた。
 そんなテッドに口付けて、俺はその場を後にする。
 海鳥の鳴き声と潮騒だけが甲板に聞こえていた。



 “昼下がりに狂人”