“アリスな王子様”

「ちょっと!ロイってば、何で逃げるのさ?!」
どたどたと廊下を走りながら王子は叫ぶ。しかし、其の声はかけた相手には届かなかった。
声をかけられた相手…ロイは静止を呼び掛ける其の声を完璧に無視すると、振り返る事すらせずに走り続けている。
ロイは必至だった。
必至で自分の後ろから追いかけて来る恐怖の化身から逃げていた。
自軍の軍主が恐怖の化身とは酷い言い様であったが、それも追いかけて来る者の姿を見れば納得ができた。
ロイを追いかけている軍主、もとい王子はドレープやレースをふんだんに使用した空色の異国の服を身にまとっていたのだ。
それも“女物”である。
ふわりとした空色のスカートから覗くのは、戦闘をこなす内にしっかりと筋肉のついた足。
どう贔屓目に見ても余裕の無い服は、動き難くは無いのかと疑う程にピチピチである。
それなのに王子は見事なフォームで走り、確実にロイとの距離を縮めていく。
「ねぇ、ロイってば待ってよ!!」
再び王子はロイに止まる様に促すが、そんな王子にロイは叫び返した。
「アンタが其の手に持ってる物を捨てたら止まってやるっ!!」
振り向く事なく叫ばれたそれは何処か鼻声に近く、ロイが泣きそうな程に切羽詰まっている事が伺える。
其処までロイを追詰めている物は王子の手に握られているフワフワとした白い物体であった。
…もっとも今の王子の格好もロイの精神を追詰めている大きな要因ではあるのだが、其の格好をしている本人に其の自覚がない。
王子は走りながら手に持っているそれに眼を向ける。
「え〜、なんで?これロイに着けたら絶対に可愛いのに!」
王子は不満そうな声を上げて問題の物を持っている手を振り回す。
其の手の中で揺れるそれは、一般に言う所の“ウサミミ”であった。
“ウサミミ”、それは所謂、兎の耳を模した付け耳である。
「〜っ!!そんな物着けられるわけねーだろ!!!」
ロイは声にならない怒りと、抗議の叫びをあげた。
大体なんでアンタはそんな格好をしてんだよ!、そう叫びたいのをロイはぐっと堪えて走る事に専念する。
相手はあの王子だ、少しでも気を抜けば、あっという間に捕まってしまう。
こんなに大騒ぎしているのに何故誰も助けに来ないのか、誰か此の馬鹿王子を止めてくれ。藁にも縋る思いでロイは走り続ける。
「ロイっ!!」
其の呼び掛けと共に背中に衝撃が走り、ロイは床に押し倒された。
「――――っ」
顔面から床に叩き付けられてロイは呻いた。
だが、直ぐに首筋辺りから聞こえるハァハァという呼吸音に怖気が走り、今自分がどういう状況にあるのかを察して真っ青になる。
(絶対このハァハァってのは走って息が乱れたせいじゃねー!!人に馬乗りになって興奮してんな、変態王子!!)
自軍の軍主をロイは心の中で罵った。
「ロイ、やっと捕まえた。…さあ、ウサミミ着けましょーねー」
「な、なんで口調が変わってんだよ、王子さん」
あまりの恐怖に論点がすり替わっているのにロイは気付かない。
自分の頭にウサミミが装着されるのを感じて、ロイは本気で泣きそうになっていた。
(なんでこんな事になったんだ?あれか?偽物騒動なんか起こして此の変態王子に知り合ったのが間違いだったのか?慎ましく普通の盗賊家業をしてりゃあこんな事にはならなかったのに、やっぱりリオンの言ってた事は正しかったぜ。やっかんで馬鹿な事なんてするもんじゃねぇ)
だが、こんな所で今更ながらに反省しても状況は変わらない。
否、寧ろ悪化してく一方であった。
背中に感じていた重さが無くなると、突然ロイは仰向けに返された。
「へ?………ひぃっ!!」
訳が分からず視線を上にあげてみれば、其処には鼻血を垂らしながら迫って来る王子が居た。
「…ハァ……ハァッ……ハァッ…」
荒く呼吸を繰り返す顔が迫り、頬に王子の鼻血が垂れたとき、ロイは思わず絶叫した。
「ぎ、ぎゃああああああああああああああああぁぁーーーーーーーっ!!!!!」

「ぅわあああぁっ!!」
ガバリと起き上がって、ロイは自分が叫んでいたのに気付いた。
嫌な汗が全身を濡らしていて気持ちが悪かった。
「ぁ…ゆ、夢?!」
そう理解するとロイの口から安堵の溜め息がこぼれ、ロイは額の冷や汗を拭う。
「だよなぁ、あんな変な服王子さんが着るなんて、リオンが許さねーだろ」
自分を元気づける様に無理に渇いた笑いを零しながら呟く。
そう、ロイは気付いていなかった、自分の頭に揺れる白いフワフワとした存在に…。