何も無い空間で、僕は羊水の中で誕生の時を待つ胎児の様に漂っている。
闇だけが存在する空間。その世界で僕は正に異物だった。
無い筈の僕がこうして存在できている理由。それは、きっと僕を包むこの温かな闇のおかげなのだろう。
この闇が何なのか僕には分からないが、常に微睡む意識の中で、この僕を包む闇だけは安全だと感じた。
何だろう、この温かさ、僕はこの感覚を何処かで…。
駄目だ、だんだん意識が……。



「吹雪」

優介が呆れた様に僕を呼び。手に持っていたタオルで水の滴る僕の髪を拭き始める。
僕はそんな優介の行動に小さく笑みをこぼした。
なんだかんだ言っても結局、優介はこうやって僕の事を色々してくれる。
そんな事実が嬉しくて僕が態と甘えている事に、彼は気付いているのかもしれない。
でも、何も言ってこないという事は、優介も僕が甘える事を許容してくれていると言う事だ。

「ねぇ、優介」

がしがしと頭をタオルで拭われながら、僕は彼に話しかける。

「なんだい、この無精者」
「んー、呼んでみただけだよ」

向き合った状態で頭を拭かれている僕は、その侭目の前の彼に抱きついた。

「……吹雪、拭きづらい」

そう言いながらも彼が抱きしめ返してくれるのを、僕は知っている。
頭を拭く事を中断して、優介は僕の背に手を回し、その腕に力を込める。
僕もそれに答える様に抱きついた腕にもう少し力を込めた。

「ずっと、こうやって過ごせたらいいとは思わないかい、優介」

彼の肩に顔を埋めてそう言えば、彼は呆れた様に溜め息を一つ吐いてこう言った。

「…僕にずっと君の面倒を見ろっていうのかい?」
「嫌かい?」

そう言って優介の目を見詰めれば、彼は少し黙った後、薄く頬を染めて呟く。

「……まぁ、吹雪がどうしてもっていうなら見てやっても良いよ」

ふいっと目を逸らした彼の耳が赤く染まっているのに気付いて、僕は嬉しくなって笑った。
大人になっても、こうやって彼の体温を感じられるような関係でいられると良い。
優介の体温を感じながら、僕はそう願った。



沈んでいた意識が浮かび上がる。
だが、目覚めても此処には闇しかない。
目覚めたばかりでぼんやりとする頭で、僕は今さっき迄見ていた夢を思い出そうとするが、何処か霞みがかった様に記憶が掠れ思い出す事は出来なかった。
とても、幸福(しあわせ)な夢だった。
この闇の温かさに似た、とても心地好い夢…。
思い出したいのに、きっとそれはとても大切な事なのだ。
けれど、また微睡みが僕を包んで、僕の意識は再び夢の中へと沈んでいった。


ねぇ、若葉色の髪をした君は、いったい誰なんだい……?
沈みゆく意識の中、僕は唯それが知りたいと思った。




02  掠れた記憶