どうしようもない飢餓感に覇王は目元を覆う。心が渇きを訴える。魂が飢え、悲鳴を上げる。 十代を喰らいたい。 肉を食み、血を啜り、髪の一房も、魂の欠片の一片すら残さずに。 頭では否定するが、心が騒ぐ。魂が叫ぶのだ。 十代を喰らえ。 何故己の半身にそんな衝動を覚えるのか、覇王には理解できなかった。理解する事を拒否した。理解してしまえば、自分は躊躇うことすらなくなるだろうと思ったからだ。そしてそれは強ち間違ってはいないだろう。 日に日に強くなる渇望に、覇王は歯を食いしばった。 そう遠くない未来、自分は十代を喰らうだろう。 ユベルは全てを知りながら静観していた。覇王の葛藤も、十代もまた同じく苛まれている事も、全て知っていた。 何の因果か、二つに分かたれた魂が互いを切望し、渇望している。元々ひとつのものが惹かれ合い、元に戻ろうとする事は当然の事なのだろうと漠然と考えた。 そして結果も見えている。 だからユベルは何も言わない事に決めたのだ。 元々二つでひとつの同じ魂なのだ。片方欠ければそれは寂しい事だけれど、ふたつを喪うよりずっとましだ。もう自分の元から最愛の、彼の人の魂が失われたらきっと自分は狂ってしまうだろう、その魂を見失ったときのように。 元々ひとつの魂が元の形に戻るだけ、ユベルは自身にそう言い聞かせた。 覇王は十代を抱き締める。自分の気持ちに蓋をして、ただ十代を愛おしく思うのだと己自身に何度も言い聞かせた。そうしなければ、自らの欲望に忠実になってしまうだろう事は予想に難くなかったし、本当はそんな事を思っていないのだと信じたかった。けれど、十代はそんな事はとうに見透かしているように、でも何も知らないというように「覇王?」と一言問うた。真正面から抱き込められた十代には、覇王の肩と背しか見えない。 「十代……」 まるで懺悔するように名前を呼ばれ、十代はあやすようには王の背を撫でる。何かを悔いるように見えたからかも知れない。ただ優しく背を撫でるだけで、十代は何も言わなかった。 全て、十代は分かっている。そんな錯覚を起こしそうになる。ただ愛しいだけならば何れ程よかっただろう、ただ求めるだけなら如何程ましだっただろう。随分と迷った挙げ句、覇王は言葉を紡ぐ。 「十代……お前が欲しい」 「うん」 十代は一言だけ答え、けれど覇王が次の言葉を紡ぐよりも先に口を開いた。 「俺を食べたい、んだろう?」 覇王が驚いて顔を上げれば、十代は綺麗に笑って、言った。 「俺も同じだから、さ」 十代から、きつく覇王を抱き締める。そして彼は嗤って言った。 「俺を、食べろよ」 十代の首筋に口付けて、覇王はそのまま舌を這わせた。十代が身を竦ませるのを全身で感じながら、覇王は考える。どうしてこんなにも甘いと感じるのだろう。味覚は正常に塩味を帯びた汗の味を感じている筈なのに、痺れる程に甘いと感じる。きっと思考が麻痺して来ているのだろう。何も考えられなくなればいい。覇王は思う。舐め上げた箇所にもう一度唇を落とし、歯を立てた。犬歯が皮膚をぶつりと噛み破る音が耳の奥に響くのと同時に、十代が裂く様な悲鳴を上げた。 「うあぁあああぐぅっ、ひっあぁああああ」 悲鳴が止まぬうちに溢れた血を舐めとる様に、覇王は血を啜る。傷口を押し広げる様に舌で舐めれば、更なる悲鳴と痛みに十代は泣いた。 「はおっ、う! はおう!!」 十代は覇王を呼びながら涙を流す。痛みと食される喜びに、止めどなく涙は溢れてくる。 ああ、自分は彼に食われるのだ。自らの半身たる彼に血を啜られ、肉を食まれ、きっと一片の欠片すら残さずに、彼に食らわれるのだ。 絶えず悲鳴を上げ、泣きながら十代は喜んだ。飛びそうになる意識は、常に与えられる新しい痛みに繋ぎ止められる。 うれしい、うれしい、ようやく、かいほうされるのだ! このたましいのかわきから! 何度も皮膚に歯を突き立てて、覇王はその血の甘さに酔った。渇きが満たされていく、その歓喜に全身が震え立つ。 「十代、十代……!」 顔を上げ、血塗れた唇を彼の少し青ざめた唇に重ねた。重なった唇は紅く血に濡れて、まるで紅を差したかの様に艶やかに匂い立つ。 「おれをたべてずっとはおうをたべたかったかわいてたんだだからおれをたべてすごくみたされてる!」 悲鳴の様に十代が言葉の羅列を口走る。苦痛と歓喜に満ちた言葉に、覇王はもう一度口付けた。 「ずっとお前を喰いたかった。とても甘い味がする。十代、俺は今、満たされている」 涙に濡れた眸が笑みを浮かべる。その目元に覇王は口付け、紅い紅を引いた。 「はおう、だいすき、もうすぐおれたちひとつになるんだ」 覇王は肉を食む。噛み締める度、頭の奥の方が痺れて何も考えられなくなった。血を音を立てて啜る度、酔いが回る様に満たされていく気分だった。愛しい愛しい、俺の半身。その一片すら残さず全て俺が喰らってあげよう。 「愛してる、十代」 冷たくなった唇に自分のそれを重ねて囁いた。恍惚の笑みを浮かべたまま時を止めた、虚ろな琥珀色の眸に覇王の姿が映り込む。映り込んだ彼は、静かに涙を流していた。悲嘆と歓喜に溢れてくる、その涙を止める術を、覇王は持たなかった。 |