ずっと、何かに急かされていた。何をそんなに急いでいるのかは、自分でも分からない。それでも、僕のなかの何かが、僕を急き立てるのだ。 なにか、忘れている事がある気がする。なにか、何か、ナニカ。それは何だ。とても大切な事のはずなのに、求めているはずなのに、一向にその何かを思い出す事ができずにいる。 それを見つければ、僕は僕になれるのだろうか。僕が僕でないはずはないのに、それでも何かが足りないんだ。でも、それが何かが分からない。 どうすれば、この訳の分からない何かを取り戻す事ができるのか。 結局、僕は何をすればいいのかも分からないままなのだ。 僕は、何の為に此処にいるのだろう。 僕は、一体なんなのだろう。 1. 僕をなくす日 君になる日 「エスト、お前、一人だけで奥まで行くなよ!」 「別に構わないだろ、僕だってもうガキじゃないんだし。はぐれても一人で村まで帰れるさ」 少年は振り返って声をかけて来た少年にそうとだけ返して、一人更に奥の方へと進んだ。 子供達は、ハウドから数日かけて遊びに出ていた。十五、六の子供にはそう珍しい事でもなく、子供と言うのは何時の時代でも好奇心の塊なのだ。大地に大きな穴があれば、当然のような顔をしてそこへ探検というなの冒険へと出て行く。少年達も例に漏れず、同じ年頃の仲の良い者同士で、ずっと昔からあるのだと言われる大穴の遺跡へと探検に繰り出した。 エストもそんな少年達の一人だった。一人でも村まで帰る事ができると高を括って、尻込みする仲間を尻目に横穴の中へと進んでいく。彼には少年達がどうしてそんなに尻込みするのかが分からなかったし、大穴の遺跡へと純粋に興味もあった。怖いと思うよりも、中がどうなっているのかの方に興味をそそられたのだ。 「へえ、なんかもっと危ない場所って感じだと思ってたんだけど」 大した事ないなあ、岩壁の間を嘯きながらエストは進む。確かに所々崩れたりと危ない事は危なかったが、凶悪なモンスターが出るとか、そう言った事はなさそうだ。確かに古い事は古い様だったが、考古学者とかではないエストには、それらが一体どれほど古い時代のものなのかなんてさっぱりだったので、単に物珍しいのだけが先に立った。 あいつらもさっさとくればいいのに。振り返ってみても一向に仲間達が横穴に入ってくる気配はない。もしかしたら引き返してしまったのかも知れない。薄情だとは思うけれど、一人で村まで帰るのに特に問題のある距離でもないので、それ以上には特に何も思わなかった。 思わず足を止めて見上げたのは、岩壁に絵が描かれていた所為だった。 「すげ……」 その壮大さに思わず声が漏れる。 そこに描かれていたものは、エストには到底理解しがたいものだった。中央に描かれた黒く塗りつぶされた渦の周りに、六つの模様が記されていた。六つの模様から白い光のようなものが伸びて、中央の黒い渦へと混ざっていく様子が描かれているようだった。 六つの模様は何か紋章のようであったけれど、稀少である紋章などとは無縁であったし、それでなくとも紋章はとても高価な代物なのである。それでも数があると言われている五行の紋章にしたって、家一軒買う程の額を積まねば手に入らないのだ。多分紋章だろうなと思いながら、エストは壁画を眺めた。 気がすむまで壁画を眺め、そろそろ戻ろうかと視線を外した先に。 「なんだぁ?」 地面が光った様に見えたのだ。興味を惹かれ屈み込んで見れば、地面から透明なガラス球の様なものの一部が顔を覗かせている。ほんの気まぐれに、それを掘り起こしてみれば拳大の中に不思議な模様の閉じ込められたガラス玉が出て来た。 「なんだ、これ……?」 そう言えば話に聞いた封印球と呼ばれるものに、見えない事もない気がする。まじまじと見つめながらエストがそう思ったときだった。 カチリと、頭の中で何かが嵌まったような音が聞こえた気がした。 ずっと、なにかが足りないと感じていた。 それがなんだか、ずっと分からなかった。 どうして忘れていたんだろう。 ティルを。 どうして、忘れていた、大切な人。 ずっときみを捜していたのに。 伝えたい事が、伝えられなかった事があったのに。 球を取り落とし、頭を抱えて慟哭した。自分の声が、まるで自分のものではないように感じる。頭の中に流れ込んでくるのはとても色鮮やかな記憶たち。二人で並んだ街並みを駆け抜けた事、悪戯をしては困らせた事、萌える緑の草原を走り出した事、伸ばした手が、届かなかった事。 地面に伏して、声を上げて彼は泣いた。どうして泣いているのかは自分でも分からなかったけれど、感情の高ぶるまま、赤ん坊の様に、彼は声を張り上げて、泣いた。只ただ後から込み上げてくる涙を、それが贖罪であるかのように流し続けた。 どれくらい泣いただろう、声は掠れ、すっかり目が腫れ上がった姿で彼は顔を上げた。 「捜さなきゃ……」 ティルを。 どうして此処に居るのか、此処が何処なのか、彼には分からなかった。ただ分かっているのは、ティルに、あの水晶に囲まれた深い谷で、泣き出しそうな貌で笑わせてしまったのが、自分だったという事だけだ。後悔してももう遅い。あの時、自分は死んで──── 「…………どうして……」 そこまで考えて、はたと気付いた。 「どうして、俺は此処に居る?」 あの時に、自分は確かに砂になって消えたはずだった。それだけは曖昧な記憶の中でも確かな事なのだから。でも、それならばどうしてここにいるのか、彼には分からない。 掠れた声で彼は呟く。 「俺は、俺は……死んで、それで」 自らの手を見つめて、それが本当に肉体である事を確認してから彼は思う。いくら生と死を司る紋章といえど、砂に、土へと還った肉体を再生する事は出来ないはずだ。 「生まれ、変わった、のか?」 エスト、と、呼ばれていたような気がする、それが今の名前だろうか。ぼんやりと思うが、実感は全くなかった。夢から唐突に目覚めたような感じだ。思い立った様に、彼は自分の名を声に出して呼んだ。 「俺は、テッド、だ」 テッドは世界を自覚する。世界がテッドを見止めたような気がした。霞懸かった世界が一瞬でクリアになる。一気に此処に居るのだという実感を得て、テッドは淡く微笑んだ。 とにかく、此処からでなければなるまい。やるべき事はもう決まっていた。立ち上がって、目に留まった闇の紋章の封印球を手にとる。 次に目に留まったのは壁一面に描かれた壁画だった。 「真ん中のは……闇、か? 罰と、月と、竜と、太陽──あれは風、か?」 残りの一つには見覚えがないが、十中八九、真の紋章であるのは間違いあるまい。闇と混ざり合う光の帯の意味は分からなかったが、自分の知らない何かがあったのだろうと予測する。伝承でもあるだろうと街におりた時にでも話を聞けばいい。 そこまで考えてみて、肝心な事に彼は気付く。 今は、一体何時だろうか。 「………とにかく、街を捜そう。話はそっからだな」 苦虫を噛み潰したような顔で、テッドは途方が暮れた様に自分に言い聞かせたのだった。 |