「え、嘘……」 耳にした名前に、テッドは引きつった表情で思わず呟いた。尋ねられた人の良さそうな男は思わず苦笑する。 「あんた、一体何処からきたんだい?」 男としてはどんな遠くからやってきたのだと言う意味合いを含めて尋ねたのだが、如何せん、テッドは答える術を持たなかった。困った様に声を上げて笑ってみせて 「ああ、すまない。ソルファレナを目指してたんだけど、方向が逆だったからさ」 どうにも苦しい言い訳を口にした。 思わず嘘だと口にしてしまったのは、自分が過去──マクドール家に厄介になる前の話だ──に訪れた街とあまりにも姿を変えていた為である。知っている店がないだとか、そう言ったレベルではない。街自体が全く別物になってしまっていたのだから。正直な話、思わず口にしたソルファレナという地名自体があるのかどうかも怪しいものだと思ったが、もう遅い。しかし男は気さくそうに笑って言う。 「そりゃあんた、方向が真逆だって」 ……どうやらソルファレナはあるらしい。内心冷や汗をかきつつ、テッドは安堵する。同時に此処がファレナ女王国なのだと確信した。 「だよなあ……参ったなあ。レインウォールは初めてなんだ、宿屋と地図を売ってる店、この辺にないか?」 「地図、なくしたのかい? そりゃあ難儀だな。宿はせむしの仔馬亭が安くて飯が上手いからお勧めだ。地図はヴォイゼルんとこが揃いがいい、赤煉瓦の派手な店だ。きっとすぐに分かる」 肩を軽く叩かれ、テッドは男が指差す方に視線を向ける。確かに、高台の方に赤い店が見えた。 「すまないな、恩に着るよ」 「なに、困ったときはお互い様さ。もしなんなら商店街で露店を出してるんだ、冷やかしにでも来てくれ」 「分かった、覗かせてもらうよ」 軽口を叩きながら男と分かれ、紹介された道具屋を目指す。途中、件の宿屋を見つけた。昼時は食堂を兼ねているようで、大分賑わっているようだ。場所を確認して頭に叩き込んでから、高台への階段を上った。赤煉瓦の洒落た店を見つけて、ドアを開けた。 目的の地図はあっさりと見つかった。纏めて丸められ、蔓草を編んで作られた籠の中に入れられている。店主に声をかけ了解を得て、テッドは地図を手に取り開く。綴られた文字を見て、テッドは小さく顔をしかめる。 『神聖ファレナス』 端の方に綴られた国名は自分の知っている国ではなくて、一瞬自分の目を疑った。よく見てみれば、地形も記憶にあるものと大分違っている様に思える。しかし地名は記憶にあるものと全く同じで、奇妙さを感じずにはいられない。 試しに他の地図も開いて見比べてみても、それらは地形等に大差ない。 「おっちゃーん」 「なんだね」 「今年って、何年だっけ」 カウンター内で文字を綴っていた店主に思わず尋ねてみれば、 「あー、と、律業二百十四年、だな。それがどうしたかい?」 「……どっちが最近の地図かなってさ」 「新しい村が出来たとかは聞かないからね、あまり変わらないと思うがね」 変な事聞いて悪かったな、どってことないがね。 出来るだけ普通に会話を終えつつ、テッドは動揺を表に出さないよう押し殺す。全く聞いた事のない年号だった。一体、此処はどこなのだろう。普通、尋ねて帰ってくるのは、一番使われている年号のはずだ。それが太陽暦でない事が衝撃だった。 自分はもしかしなくとも、楽観視していたのかも知れない。まさか、正真正銘の迷子になろうとは思っても見なかった。時代すら迷い込んだような錯覚を受けながら、テッドは取り敢えず地図を購入した。此れがなければ、自分は現在地すら見失う事になる。 ここから一体どうしようか、店を後にして、テッドは本気で途方に暮れた。 2. 見つけたものは償いの標 「テッド?」 どうしたもんかと立ち尽くしていた所に、後ろから名前を呼ばれてテッドは振り返る。そこには格好は違えど、あまりに懐かしい知人の姿があった。 「あ……と、すみません。後ろ姿があまりにも知人に似てたもので」 赤いバンダナを頭に巻いた彼は、人好きのする笑顔を浮かべて軽く頭を下げて来た。 「アノイ、だよな?」 「えっ……?」 名前を呼べば青い双眸を丸くされて、テッドは苦笑する。 「うそ…………ほんとに、テッドなの? ホントに?」 何度も確認されて、それに苦笑しながらテッドは答える。 「ホントだよ。でなきゃお前を知ってる訳がない」 「まあそうなんだけどさ……」 信じられないものを見るような目で見られ、なんとなく落ち着かないながらもテッドは旧知に尋ねる。 「唐突で悪いんだけど、ここ、何処だかわかるか? ほんと、右も左も分かんなくてさ、参ってるんだ」 「俺もなんでお前が此処に居るのか、興味あるよ。すっごく」 真顔で返されてテッドは素で反応に困る。どう返したものかと悩んでいると、アノイが先を続けてくれた。 「とにかく、此処じゃなんだから俺の取ってる宿に部屋に移動しよう。それとも宿はもう取ってるのか?」 「いや、人に紹介はしてもらったけどまだ取ってない。というか、お前一人称変わってないか?」 「あのね、一体どれくらい時が経ったと思ってるの。一人称くらい変わるだろうよ」 妙に呆れたような顔をするアノイに、テッドは大きく溜め息をついた。 「それだよ。一体此処は何処なんだ?」 時間の流れから尋ねられて、アノイは軽く眉を顰めた。 「その辺も含めて場所を移そう、話はそれからだ。飯は? 何も食ってないなら何か腹に入れた方がいい」 「食う。実は碌に食ってないからさ、腹減ってるんだ」 「じゃあ宿の食堂で軽く入れようか、中々上手いんだ」 「せむしの仔馬亭か?」 「あれ、知ってんの?」 「そこがいいって教えてもらった」 軽口を叩き合いながら二人はアノイが部屋を取る、中々評判がいいらしい宿屋へと向かう。 宿で取った昼食は、評判通り中々おいしかった。 「それで、結局此処は何処なんだよ」 「せむしの仔馬亭の二階?」 真顔で返したアノイに、テッドは思わず半眼になる。 「あ、冗談だって。そんな顔で睨まないで」 「…………お前、性格変わったな」 へらりと困ったような笑みを浮かべて取り繕うアノイに、テッドは疲れた様に返す。 テッドの知っている彼は、もっと角があって他人を排するようなところがあったはずだ。実際テッドも散々扱き下ろされた覚えもある。だから、この変わり様に正直な話、結構戸惑っていたりする。 「あれからどれだけたったか覚えてないからな。それだけあれば人間誰しも変わるさ」 自嘲気味に漏らされた言葉に、テッドは思わず真顔になる。 「ここは神聖ファレナス……ファレナ女王国の後進の国ってとこか。テッド、君が死んでから多分三千年かそれくらいかな? よく覚えてないけど、それくらいは経ってると思う」 「…………は?」 「寧ろ俺が聞かせて欲しいくらいだ。どうしてアンタが此処に居る? シークの谷でソウルイーターに喰われたって聞いたぞ」 とんでもない桁の年数を教えられ目を丸くしたのも束の間で、真顔で詰め寄られてテッドは言葉を失う。 「…………ねぇよ」 「え?」 「どうして此処に居るかなんて、こっちが聞きたい位だ」 どうして此処に居るのか、未だ自分でも分からないままだった。考えたって分からないし、そんな事より、やりたい事があるから、だからこうしてもがいている。 「そんな事どっちだっていい」 「どうでもいいって、お前ね……」 断言するテッドを、アノイは少し呆れた様に見遣る。けれどテッドはそんな事など意にも介さない様に言葉を続ける。 「ティルは。ティルはどうなった」 何か返そうとして、アノイは口を紡ぐ。 テッドには妙な確信があった。ティルはまだ、この世界の何処かにいるだろう。何千年と時が流れていると聞かされても、テッドはティルの生を確信していた。それは妄信とも盲信とも言い換える事のできる確証かも知れないけれど、それでもテッドは断言する。ティルは、この世界に生きている。 「ティルは何処に居るんだ?」 「…………会うの?」 「会いもしないのに捜すかよ」 含んだアノイの問いに、テッドは即答する。 「そりゃそうだ」 何かを諦めた様に、それでいて悟った様に言葉を返して、アノイは軽く肩を竦めてみせる。 「いいよ、案内して上げる」 そう言った後に何かに気付き苦笑しながら付け加えた。 「でも取り敢えずはソルファレナかな」 「ソルファレナ……王都か?」 「うん。でもさ、新しい国なのにどうして古い地名使ってるかとかちょっと不思議に思わない?」 ちょっとした悪戯を思いついた様に尋ねてくるアノイに、テッドは苦笑する。 「ちょっとどころじゃなく混乱に拍車かかったぜ」 それを聞いて心底楽しそうにアノイは笑ってから、告げた。 「王様が我が侭言ったのさ」 一体どんな王様だ、テッドは苦笑して呟いた。 |