予想外だったのは、記憶にある自分よりも随分と体力も筋力が落ちている事だった。平気に踏破できるはずの距離が歩けなくなっていたり、弓の弦の張り加減では引く事すら出来なくなっていたり。
「ありえねえ」
 何度目か分からない呟きを青く澄んだ空を仰ぎながら、テッドは懲りずに呟いたのだった。
「現実は認めなよ。死にっぱなしだったから色々衰えたんだ、諦めなって」
 一人愉快そうに笑って、アノイはそんなテッドを慰める。慰めていると言うよりは、おちょくっていると言うのに近い気がしない事もないが。それでも体力のなくなっているテッドに合わせているが、その事でアノイは嫌な顔一つしない。テッドにそれは有り難く、感謝の意も込めて大人しくおちょくられてやる事にした。相手にしないとも、言い換えられるけれど、その辺は個人の判断による所だろう。
「で、なんで王都に向かってるのか、そろそろ聞かせて貰っても罰は当たらないと思う訳だが。そこんとこどうなんだ、ん?」
 半眼でアノイにそう問えば、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして視線をそらす。
「それで、どうなんだよ」
 意地悪く問えば、アノイは諦めた様に溜め息をついて苦々しく呻く。
「……俺の都合でちょっと会わなきゃなんない人がいるから。その人がソルファレナにいる」
「何がそんなに言い辛いのかが分からんのだが」
 素直な感想を言ったつもりだったのだが、アノイはぐ、と呻いて視線を下に放った。
「あんまり深く突っ込んでくんな。シツコイ野郎は嫌われるぜ」
「お前に嫌われても屁でもねえよ」
「んまっ、可愛くないお子ちゃまだこと!」
 小指を立てて口元に手をやり、批難がましく喚き立てればテッドは呆れた様に眉を寄せた。
「お前、ホント。変わったってか、頭湧いた?」
 本気で心配されたようで、アノイは目を細め眉を顰める。
「無茶苦茶失礼な事言われてるのは気の所為じゃねえよな。絞めるか? あ?」
「くたばれ」
 呆れた様に吐き捨てて、テッドは立ち上がり伸びをする。空が青いのは今も昔も変わらないらしい。空を仰いでそっと呟く。
「空は変わらず、青いねー」
「真っ黒で大変だった時もあるんだぜ、信じないだろうけど」
 独り言に返されて、テッドは面食らいながらも打ち返す。
「あ? 夜とか?」
「うんにゃ」
 返って来た答えは、割と衝撃的なものだった。

「紋章の暴走」

「は?」
 思わず間の抜けた反応を返す。というか、反応しきれなかったと言うのが正しいかも知れない。
「ま、嫌でも耳にする話だから、楽しみにでも取っておけば」
 投げやり気味にも全く説明する気の無いアノイに、全く欠片も楽しみにもならない話題だと、テッドは項垂れて大きな溜め息をついた。どうやら大きな爪痕が残っているようだ、割合感の良い方に分類されるテッドは直感した。




 3. 導きしめすは太陽のしらべ




 どうにか日が沈む前に王都ソルファレナへと辿り着いた二人は、街の外れにある宿屋に部屋を取った。正確にはアノイがさっさと宿へ向かい、テッドがそれに引き摺られて来たと言うべきだろう。
「此処を選んだその心は?」
 冗談まじりにそう尋ねれば、
「ここのローストビーフが絶品なんだ」
 大真面目にそう返されて、テッドが思わず顔に手を当てて天を仰いだ。
「なんだよ、聞かれたから答えただけだろうが」
「煩い。お前、あの感心のなさっぷりもどうかと思ったが、なんだってそんなに軽くなってんだ」
 テッドの台詞に、アノイも大きくため息を吐いて口を開く。
「あのね。何度も言うようだけど、気の遠くなるような時間生きてれば人だって変わるよ。お前だって俺の知ってるテッドと、随分と変わったようじゃないか。引き蘢りが百年とちょっとくらいか? それくらいで社交的な悪戯好きへと変わったらしいじゃない。今話していも、軽く驚いてるのは俺も同じなんだよ」
 確かに人の事を言えない自分だった事を認め、テッドは口を紡ぐ。それを見て、アノイは諦観した様に薄く笑った。
「それにね、千年越える辺りから心が可笑しくなってくるんだよね。人間の心なんて、そんなに長く生きる様に出来ちゃいないんだよ。一人じゃ生きてられない。俺はもう、とっくの昔に狂ってるんだろうよ」
 自嘲気味に笑って、アノイは続ける。
「いい事教えてやる。この世界で、真持ちはだいたい繋がってるんだ。馬鹿みたいな時間抱えて、一人で狂い死ぬのから逃げ出す為にね」
「それ、」
 テッドの言葉を遮り、アノイは彼の言おうとした言葉を引き取る。
「勿論、ティルもその中に入ってるさし。テッドからしてみたら、此処に来たのはティルに繋がる為みたいなもんだから安心するといい」
「…………悪ぃ」
「テッドは悪くないよ。ただ、もう俺らが可笑しくなってるだけって話だ。もう遅い、今日は休んで明日奴に会いに行こう」
「そうだな」
 素直に従い、テッドはアノイの部屋を後にする。扉が閉まったのを確認して、アノイは溜め息を吐いて体をベッドに投げ出した。
「最悪だ」
 自分の態度も、口走った事も、今生きている事すら。テッドに会って、随分と不安定になっているようだと改めて自覚する。随分と半端ない時間を過ごしていると言うのに、みっともないったらありゃしない。随分とデカイ子供もいたものだと自嘲して、実は少しだけ凹んだ。
 時々どうしようもない憤りに襲われるのは、この世界のバランスが崩れて来ている所為だろうか。その所為に出来れば、あまりうだうだと悩まなくて済むのだけれど、とあまり褒められたものでない事をアノイはつらつらと考える。暫くゴロゴロとベッドの上を転げていたが、やがて動きをぴたりと止める。
「………寝よ」
 結局、何もかもを放棄して、明日に備える事にした。

 アノイが転げている頃、テッドもテッドで、少しばかり凹んでいた。
 やはり少し無神経だったなとか、あいつも人並みな神経が通っていたんだったらもう少し気にしてやるべきだったとか、一応テッドも人の子だった。傷付けたと分かっていて、無神経で居られる程図太い訳でもない。
 謝るべきか、それともこのまま流してしまうべきか。テッドが迷ったのはそこだった。触れて欲しくないのならば流すべきだし、けれどこのまま謝らないのも宜しくない気がする。だが謝るのなら触れずにはいられない問題であるし……ジレンマにテッドは頭を抱えた。
 暫くぐるぐる考えた末、明日顔を合わせてから考えよう。そう決めて糊の利いたシーツに潜り込んだ。





「ちょっと待て」
 連れられて来た場所が場所なだけに、テッドは思わず立ち止まる。
「どうかしたか?」
 連れて来た当人は最初からこの場所が目的地だったので、何喰わぬ顔で尋ねる。アノイにしてみれば、テッドが何を気にしたのかが分からなかった。
「此処?」
「何を今更」
 テッドは思わず見上げてしまう。その隣ではアノイが平然と仁王立ちしているのがあまりにも不釣り合いに見えた。
「王宮だろう、此処」
「当然。此処の主に用があるんだから、太陽宮訪ねなきゃソルファレナに来た意味がないだろ」
 我が家の様にずんずんと先を行くアノイに、軽い目眩を覚えつつテッドは後に続く。
「此処への立ち入りは禁じられている」
 当然の様に左右に控えた兵士に止められ、アノイは軽く眉を寄せる。
「聞いてないのか?」
「ほら見ろ、先触れとかも入れてなかっただろうが、お前」
 そら見た事かと言わんばかりにテッドが言う。実際、アノイは先触れもせずに訪ねているのだが。
「気が向いた時に訪ねて来いと言われてるんだけどな」
 わしゃわしゃと頭を掻きながらアノイは呟く。
「とにかく」
「控えよ」
 兵士が言うのにかぶせ、朗々たる少女の声が広間に響き渡る。
「彼の者らは乃公が招いた客人である。控えよ」
「はっ」
「しかし、身元の確認と取り次ぎを」
 姿勢を正して片方は答えたが、もう一人が言いかけたのを少女は切った。
「必要あらぬ」
 それでも尚言い募ろうとする兵を、もう一人の兵が信じられないものを見る目で見たが、少女は尚も遮って言う。
「無礼であるぞ、控えよと申すのが分からんか」
 言い放ち、少女は二人に向き直る。
「客人よ、よく参られたの。リオンが先を行く故、後について参られよ」
 神掛かったような表情は言葉が終わると同時に年相応でありながらも無表情へと変わる。少女は小さく礼をして、言った。
「こちらへどうぞ。主がお待ちです」
 少女が歩き出すのに続いて、アノイとテッドも先へと進んだ。今度は兵に止められる事も無かった。
「あの子」
「リオンちゃんだよ」
 小さくテッドが尋ねると、アノイも少し声を潜めてそれに答えた。リオンは振り向かず、また歩く早さも変わらない。
「正確には黄昏の紋章の擬態って所かな」
 付け足す様に言われた台詞に、声を上げそうになったが、リオンの声に遮られた。
「主が中でお待ちです。お進み下さい」
 開かれた入り口の脇に控えたリオンに促され、二人は謁見の間へと通される。
 謁見の間は広く、赤く敷かれた絨毯の先には玉座が据えられている。そこに座した銀髪の麗人を、テッドは一瞬女と違えそうになった。
「リー! よう来たの、息災であったか? 主がなかなか参らぬで、乃公は待ちくたびれたぞ。乃公に外の話を聞かせて賜れ」
 間に入った二人を見留め、この居城の主は嬉々として声を張り上げた。その声は少しばかり高かったが。確かに男性のものだった。
「やあファル。久しぶりだね、元気そうで何よりだ。紹介する、こっちの彼がテッドだ」
 左手で示され、彼の視線がテッドに遷る。少し驚いた様に目を見開いてから、彼は笑って自己紹介した。
「ほう、主がテッドか、話はよう聞いておる。乃公がクオーズ=ファリム=ファレナス、この神聖ファレナスの飾り物の王である。ファルと呼ぶことを許そう、良きに計らい賜え」
 一体何を聞かされているのか一抹の不安を覚えつつも、圧倒されてテッドはしどろもどろに答える。
「紹介に預かりましたテッドと申します、王よ」
「敬語はいらぬ。そのようなもの臣のみで十分だ、あやつらのおべっかを思い出して気分が悪うなる」
 目を細めて眉を寄せ、拗ねた様にそう呟くクオーズにテッドは苦笑する。
「分かったよ。改めて、テッドだ。ファル、と呼べばいいのか?」
「うむ。もう乃公をそう呼ぶはリーのみであるからな! そう呼んでもらえれば乃公は嬉しい」
 クオーズは子供の様に笑ってそう言う。破顔した様は年上のはずなのに、まるで子供のようにも見える。
 なんだか微笑ましい気分になりつつも、テッドは気になった事を尋ねた。
「関係ないんだけど、コイツがリーってのはなんで?」
 右手の親指でアノイを示すと、クオーズは不思議そうにアノイを見る。
「なんだ、言っておらんのか? 隠す程のものでもあるまいに」
「あー……」
 苦虫を噛み潰した様なアノイに構わず、クオーズは言った。
「其奴の名はリゼル=ネロ=クルデスと申すのだ。故にリーと呼んでおる」
「………」
 そんな所までばらさなくても、苦い顔をして視線をそらすアノイに、テッドが何気なく尋ねる。
「なんでアノイなんだ?」
「乃公も聞きいた事がないぞ」
 好機の視線に晒されて、アノイは大きく溜め息を吐く。
「スノウがね、つけたんだよ。その名前」
 なんかもうその名前以外でスノウに呼ばれるのも癪だったからアノイと名乗る様になったのだ。あの頃僕は擦れていた、何か悟った様にそう言われて困ったのは尋ねた二人の方だ。
「お前捻くれてんなあ」
「それだけの理由で……」
「ほっといてよ! この話はおしまいっ!」
 無理矢理話を納めて、アノイはテッドを見る。
「大体テッドの用事で来たんだろ」
「何じゃ、申してみよ。乃公で力になれるものであるなら、協力は惜しまぬぞ」
 クオーズに促され、テッドは言う。
「ティルに会いたいんだ。何処に居るのか捜している。何か知っているなら教えて欲しい」
「……逢うてどうする」
 僅かに目を顰め、クオーズは尋ねる。その眸は何処までも真っ直ぐにテッドを写し、テッドは一瞬それに怯んだ。暁天を写し取ったようなクオーズの目は、真剣さの中にも何か別の意思が含まれているような気がして、テッドは試されているような錯覚を覚える。
「伝えたい事があるんだ」
「ふむ……」
 テッドの答えにクオーズは少し考えるような素振りを見せる。
「リオン、茶の用意を」
「かしこまりました」
 入り口付近にて控えていたリオンが小さく辞儀し、部屋を出る。
「この件に関しては、乃公よりもシエラに取り次ぐ方が早いであろう。リーよ、乃公は奥の間で茶でも交わしながらの詳しい話を所望する」
 人の悪い笑みを浮かべながらそう言うクオーズに、アノイは何度目かになる苦虫を噛み潰したのだった。
 リオンが用意した紅茶に口をつけながら、アノイは眉を寄せながら話す。出来るだけボロを出さない様にと慎重に話す様に、テッドは吹き出しそうになるのを堪える。
「詳しい事は言わないけど、ちょっとシエラと一悶着あってさ。それで閉め出されてるんだ。だからファルからシエラに連絡着けてくれないか?」
「何じゃ、詳しくは話してくれんのか」
 隠しもせずに大笑いして、少しばかり溢れた涙を袖で拭いながらクオーズはいう。
「良いだろう。今リオンを使いに出した故、明日にでも訪ねるが良いぞ」
 左手の中指で三回テーブルを叩いて、クオーズは笑った。
 声にせずとも自在に紋章を操るクオーズに、何度見ても便利だよなあと妙にアノイは感心する。
「しかし、シエラ老をどうこうできる等、世界中捜しても御主だけであろうよ」
 からからと笑われて、アノイは引きつる。本人は望んで月の紋章の主と渡り合っている訳ではないので、そんな事言われても全くと言っていい程、嬉しくはなかった。
「ティルは東の果ての森に居る。元々赤月のあった北の大陸だ。わかるな?」
 引きつったアノイをそのままに、クオーズはテッドを見て尋ねる。それにテッドは頷く事で肯定した。
「主は今何処までこの世界の現状を把握しておる? 生き返っただかは乃公の知る所ではないがな、何処から話せば良いのかが分からぬで」
「俺が死んでから大体三千年くらい経って、紋章の暴走ってのがあったらしくって。そんで此処が神聖ファレナスって国で、ファルが王って事くらいだろうな」
「何も知らんのだな?」
 改めて返された問いに、テッドはそうなるな、と返す。ふむと小さく唸って、クオーズは三度口を開いた。
「もう主の知っておる国はみな滅んでおる。乃公の名でこのファレナスが建てられたのが二百十四年前であるな」
 一旦区切ってから、クオーズは再度口を開く。
「それよりも二、三年程前になるか? あの頃は紋章科学が発達していてな。乃公らが星を集めた頃よりも、ずっと大規模な国家間抗争が起こっておった。戦争となれば軍事力拡大が必要であるからな。当然、紋章を使った兵器も開発されたのだ」
「紋章砲みたいな奴か?」
 ぱっと思い浮かべる事が出来ず、自分の中で抱いた一番近いものの名を口にすると、アノイは少し考える様にしてから口を挟んだ。
「考え方は近いけど、威力も射程も桁違いだった。破壊力だけでみたら、俺の罰の紋章に匹敵するんじゃないか?」
「んだよ、それ……そんなもん作ってどうすんだよ……」
 アノイの宿星で彼の紋章を間近で見て来たテッドには、それだけでその兵器がどれだけの威力を持つのかが伺い知れる。開いた口が塞がらないと言った様に、呻いたテッドに呆れたようなクオーズが返した。
「威嚇と自国防衛、あるいは侵攻であろう。一国がそれを持てば他の国も同様の力を求めるは必然。力なくば己を守る事すら敵わぬ」
 クオーズの言葉をアノイが継ぐ。
「まあ当然だよな、みんな自分の国が一番大事だし。競い合って開発を繰り返してるうちはまだ良かったんだけど」
「何が直接の要因か乃公は知らぬが、直に北の大陸がきな臭くなってきおってな。それからはあっという間に開戦までもつれ込み追った」
 原因など知らなくても問題はないといったような語り様のクオーズに、アノイは苦笑しつつ言葉を付け足す。
「最初は旧クールーク周辺含む群島諸国連邦と、トラン、デュナンに跨がった中央勢力……ヴァーゼリアって国があったんだが、その国との小競り合いだった。けど、そのが国境紛争で紋章兵器の実践投入を行ってな。あっという間に北方勢力も巻き込んだ三つ巴の大戦が始まった」
「あれは誠目も当てられんかったわ。両勢力から攻め込まれた彼の国が、開発中の実験兵器を投入しおったのよ」
 馬鹿にするような語調を滲ませつつ、クオーズは淡々と語った。
「結局自他勢巻き込んだ状態で兵器は大破。並の威力じゃなかったから、それこそとんでもない爆発で、それに伴う広範囲……国土の三分の一の延焼によって巻き上げられた灰やすすとかが空を覆ってさ。正しく真っ黒な空なんだよ。日光は遮られて、気温は低下でまるで冬みたいだった。だから俺らはあの時代を長い『冬』って呼んでる」
 茶化す様に語っているはずなのに、アノイの言う事にテッドは口を挟めない。
「最悪だったのはその後だ。核に使われた紋章が暴走してな、それ故被害は拡大。粉塵に紋章の力も合わさって、世界中に長い『冬』が訪れたのだ。我が国土は南方故、雪が降るような気候とは無縁だったから雪に対する免疫等皆無でな。それどころか生態系から一気に崩され、文明が崩壊しかけたぞ。最近になってようやっと西の大陸もまともに動く様になったらしいが」
 あそこは光に属する真が少ないから苦労するだろうとクオーズは人ごとの様に呟く。実際、彼にはとっては、他国の事など人ごとなのだろう。
「この国が此れだけ復興したのは、再生と破壊を司る太陽の紋章の御陰なんだ」
「それ故、この国に生きるものはみな、乃公に逆らう事ができぬのだよ」
 子供が自慢する様に、クオーズは笑う。
「この国は太陽の紋章の加護無しじゃ立ち行かないからな。実際、百年くらい前に加護と引き換えに元ナガール辺りが独立したんだけど、加護を失った途端に氷と闇に閉ざされたからな」
 全然笑えないとアノイは半眼で呟く。それを見たクオーズは困った様に笑って尚も言う。
「流石の乃公も氷漬けには驚いたぞ。今ならそれほど酷い事にはならんのではないか? 寒さによる凶作が続く程度であろう」
 どっちにしろ生きて行けないんじゃあ……テッドは思ったが口には出さなかった。クオーズに言ったところで同意されるだけだと感じたのだ。もしも独立を望まれたら彼はそれを許すだろうし、また同じ条件をつけてそれを実行するだろう。そしてその後の面倒等見ないような気がする。僅かな頭痛を感じつつ、テッドは微妙に話を反らす。
「いくら紋章の暴走ったって、世界規模っつーのは」
 大袈裟なんじゃと言いかけた言葉はアノイによって遮られた。
「それがね、真の紋章だったから大騒ぎになった訳だ。紋章自体が強力だったし、紋章の意思が怒り狂ってたし、止められる宿主もないし。総出でどうにか押さえ込んで落ち着かせたけど」
「アレには乃公も駆り出されてな、ほんに最悪を絵にしたようであった。今考えると其れ位ですんだと考えるべきなのだろうな……」
「かもな……真の紋章の暴走で、今この世界のバランスは大きく混沌──闇へと傾いてる」
 同意の言葉を示しつつアノイは言った。この世界は今、終わりへと向かっているのだと。
「先に起こった大きな戦で受けた影響は計り知れぬ。其れに加え、この可笑しくなったバランスは多分、元には戻らんであろうな……まあ、今を生きる人間には関係のない話だろうが」
 最後の方は独り言の様に呟いて、クオーズは言う。
「大分話はずれたが、ともかく、その大戦以降このファレナスは北の大陸との事実上の国交が無いのだ。そのような余裕も無かったというのもあるし、海向こうの大陸が復興を始めたのが百年程度前であるからな。まともな移動手段で北上しようと考えたら目眩を起こすような時間がかかるであろうな……群島諸国連邦と北方大陸は沈黙しているも国力が回復していないと言うだけであって、依然睨み合うておる故」
「そこで蒼い月の村に身を寄せる真持ちの力を借りようって訳だ。本当なら直接行けばいいんだろうけど、半年前に啖呵切った手前ちょっと、な」
「おんし、一体何をやらかしたのだ?」
 呆れているが楽しんでいると言った様子でクオーズが尋ねるも、アノイは頑なに口を割ろうとしなかった。
「どうせ碌な事じゃねえんだろ」
 けけけ、と人の悪い笑い方でアノイを笑うテッドを、愉快そうに眺めていたクオーズが思い出した様に言った。
「ああ、そうだ。御主にフェイタスの大河の祝福があるように。会えると良いな」
「ああ」
 言われたテッドは穏やかに笑ってそうとだけ返した。