「何処にあるんだよ……蒼い月の村ってのは」
 ルナスからその奥へと続く森の獣道を進み続け、幾度目かの休憩を入れた所でついにテッドがぼやく。ルナスで一夜明かしたとはいえ連日の長距離の移動で、いい加減体中が悲鳴を上げているのだ。
「悪いけど、まだ大分歩くよ。ファル公認とはいえ、公には隠された村だからな。人が簡単に辿り着けるような場所にあったら問題だって」
 自分の革袋から水を呑みつつアノイが言う。それを聞いて、テッドはがっくりを首を落とす。
「まじかよ」
「気持ちは分からなくもないんだけどな」
 革袋の蓋をしっかりと絞め、苦笑しながらアノイも同意する。
「でもこの時代、紋章を隔離する事は絶対に必要だからな。それくらいやらなきゃならないんだって」
「紋章を隔離? なんでまた」
 疑問をそのまま口にしたテッドに、アノイが目を見張る。
「あれ、知らなかったか。五行の紋章だろうがその他の紋章だろうが、地面から掘り起こされる紋章ってのは結局かけらなんだ。分かるか?」
「おお」
「どんな風に砕けようと、結局無限にはならない。もう数が比較的多かった五行の眷属も殆ど出土しなくなってんじゃないか? それに北の大陸の大戦以来、一般が紋章を所有する事が酷く困難になってんだよ」
 投げやり気味にアノイは言って、倒木に腰を下ろす。
「ファルも紋章が出回らない様にしてるし、見つかった紋章は大体掬い上げてると思う。正直な話、俺たちはもう、余計な事して引き出される過ぎた力に辟易してる。余計な事されたくないから元を絶とうって決めての結果だし、もしまたあんな事があったら……いや、次は無い」
「次は無いなんて断言するのか、お前にしては珍しいじゃないか」
「断言するよ? だって次は誰も止めないし」
 アノイの台詞にテッドは軽く目を見張った。
「それがこの世界の終わる時なら滅びるだけだ。世界が終わらなければ人が滅びるだけなんじゃないの? そんなの、それこそ俺たちの知った事じゃない」
「……訂正。お前、やっぱり根っこの所は全然変わってねえよ」
 溜め息を吐きながらテッドが呟いた所で、小さくくしゃみをする声が聞こえた。次の瞬間、長い黒髪の少女が二人の目の前に出現する。
「あ、あれ?」
  キョロキョロと周りを見渡して小さく首を傾げる少女に、テッドとアノイは思い思いの反応を返した。




 4.月のよび声は涙のうらがわ




「………心臓に悪いな、オイ……」
「ビッキー? うわ、久しぶり。俺の事、覚えてる?」
「えっと、アノイさん? 随分お久しぶりな気がしますよー。テッドさん、も一緒なんだ」
 ビッキーと呼ばれた少女はアノイとテッドを交互に見比べ、呟く。
「二人は仲が良かったんですねぇー」
「……………」
「……………」
 テッドは目線を斜め下に逃がし、アノイは視線を泳がせる。実は二人の仲はそんなにお宜しかった訳ではないし、どちらかと言うと、テッドがかなり一方的に突っかかって行っていただけのような気がしないでも無いのだが。
「まあ、そんな事はどうでもいいよ。ビッキーはどうして此処に?」
 結構酷い扱いで強引に話題をアノイは捩じ曲げたが、ビッキーは特に気にした風でもなく答える。
「あのね、私、翼を捜しているの」
 テッドにはよく分からなかったが、アノイは納得した様子で少し淋し気に笑って言った。
「僕が知っている翼はもう完全な翼だよ」
「じゃあ私の捜している翼じゃないのね」
 納得した様に、ビッキーはそう言って、小さく「また捜さなくちゃ」と呟く。それを聞いたアノイは切な気に目を細め、気を取り直した様に尋ねる。
「ねえビッキー、蒼き月の村って分かるかな? 出来たら瞬きの紋章でそこまで送って貰いたいんだけど」
「えっと、直接行った事ある訳じゃないから、正確には送れないと思うの」
「うん、大体その辺りまででいいんだ」
「それなら多分、大丈夫だと思うよ」
 ニコリと笑って言うビッキーに、アノイも釣られて笑いかける。
「お願いできるかな?」
「うん、いいよ」
 じゃあ行くね、そう言って杖を構えたビッキーだったけれど、少し考えてから口を開く。
「じゃあ、翼によろしくね?」
「頼まれたよ」
「いっくねー……それっ!」
 元気なビッキーの掛け声とともに、周りの景色が一瞬にして変わる。そして目の前に居たのは。一見して全く動揺した様子も見せていない、銀の髪を持つ少女が目を細めていた。
「何じゃ、こんな所にいきなり出おって。誰かと思えば罰の小僧ではないか」
「シエラ……」
 ひくりと顔を引き攣らせたのはアノイの方で、シエラは小さく鼻で笑って言う。
「吾が嫌でお主は出て行ったではなかったかえ。吾ももう年でじゃて、覚え違えておるやもしれぬの。のう、アノイ?」
 何処となく棘がある様に聞こえるのはきっと気の所為ではあるまい。顔を引き攣らせたままの顔を無理矢理笑わせ、かなり不自然な笑顔でアノイも負けじと言い返す。
「シエラが嫌っていうより、貴女のやり方に反発しただけだろうが」
「吾が気に喰わぬのに違いはなかろうが。で、此度は如何なる面倒を拾いおったのじゃ。クオーズから懐かしい名が出たが、まさか真とはのう……」
「本物だ。出会い頭に名前を呼ばれたし、何より彼を捜してるからな」
 シエラの視線がアノイの横に居たテッドへと向けられて、テッドは思わずたじろいだ。というか、苦手としていた人物に眺め回されて固まらない奴は早々居ないと思われる。
「本当にシエラだな……」
 思わず口をついた言葉に、テッドは自分で戦いた。下手に口答えなぞすれば、一体何を言われるか知れないのは身にしみていた筈なのだが。条件反射というやつはどうにもならないものなのだ。
「うむ、此の減らず口はテッドに違いないの。魂喰いに喰われた魂が生まれ変わるとは、とんだ珍事じゃな」
 たった一言の失言だった筈なのに、珍事扱いされ、テッドは少しだけ凹んだ。
「で、お主、今の名前を覚えておるか?」
 そんなテッドの様子など関せずと言った様子で、シエラはテッドに尋ねる。問われたテッドは眉間に僅かに皺を寄せ、頭を掻いた。
「遺跡で目覚める以前の事、覚えてない。一番最後はシークの谷であった事だな」
 正直に答えると、シエラは小さく息を吐いてテッドから視線を外して言った。
「……で、あろうな。転生とは、新たなる命として歩む為に生まれ落ちる事じゃ。人の器は、一人の記憶しか受け止める事が適わぬように出来ているのだ、と訊いた事がある。主は今を捨て、テッドとしての生の続きを望んだのじゃな」
 難儀な性分よな、そう言ってみせたシエラの表情はとても優しいもので、責められているのではないのだとテッドは少しだけほっとした。
「お主のその姿は魂が器の形を覚え、今度は肉体が魂の形に引き摺られて出来たものであろうな……主の右の眸のその黒きは魂喰いに捕われた闇の彩じゃろう」
 気付いておったかと問われて、そう言えば自分の右目の色が見慣れた琥珀ではなく、まるで黒曜の様な輝きをしていた事を思い出した。思わず右目に手をやると、指の隙間からシエラの紅い眸とかち合った。真摯な眸で、シエラは言葉を紡ぐ。
「本当にそれで良かったのかえ? 何を換えてまでも、お主は何を望む? それが真に正しき事だと思うかえ?」
 彼女は本気で己に問うているのだ。そう思い、テッドも正直に答える。
「何が正しいかなんて、知るか。俺が願い、俺が望んだ。それを間違ってるだなんて思わねえ」
 心の底から望まなければ、俺は今、此処に居もしない筈だったのだ。例えそれだけだったとしても、心から望んだ価値はある筈だとテッドは思う。 
「まあよいわ。ひと先ず、腰を据えて話をしようではないか」
 着いて来よ、そう言って裾を翻したシエラに、少しだけほっとした様にアノイとテッドは顔を見合わせたのだった。




「何処まで訊いておる? 吾は何から話せば良いか?」
 自分はさっさと席に着いて、勝手知ったる何とやらと茶を入れる準備をするアノイに、シエラは尋ねる。それに苦笑しながらアノイも答える。
「北の大陸が三つ巴で紋章暴走まで、テッドは知ってるよ」
 確かに短く纏めたが。纏めたのだが。
「……何つー略し方だ」
「ほんにのう……もう少し言い様があろうに……」
 あまり言葉を選ばずに纏めたおかげで。分からない人にはさっぱりな文になった事に、聞いた二人は少々不満気味だった。
「暴れた紋章がなんであったか訊いておるか?」
「いや……真の紋章とだけ聞いた」
「そうか」
 差し出された紅茶に口をつけつつ、シエラは続ける。
「その紋章は、且つてお主が宿しておった紋章よ」
 彼女の台詞に、テッドの顔が驚愕に歪んだ。
「なっ……!! 止められる奴が居なかったって……ティルは生きているんだろう?! なんで……!」
 半ば叫ぶ様にして出た言葉を、シエラは只淡々と受ける。
「あの子はもうずっと眠っておる。もうずっとじゃ……昏れの谷で眠っておった所を彼の国の研究者どもに連れ出されてな。魂喰いを外せぬで、眠ったまま紋章の一部として兵器に組み込まれた……ようじゃ。詳しくは分からぬ。ただその事に怒り狂った魂喰いが暴れようが、宥め諌める筈のあの子は眠ったままじゃった」
「俺たちが駆けつけた時、怒りの侭に全てを呑み込もうとするソウルイーターと、眠ったまま機械に繋がれているティルがいたよ。彼、結局、覚醒しなかったんだ。だからそこで何があったかは、ソウルイーターしか知らない」
 目を伏せて自分の髪を弄びながら言うシエラの後を、アノイが続ける。その光景を思い出したのか、僅かに寄せられた眉にテッドは息を詰めた。
「ティルが目覚めぬのならば、代わりに吾らが魂喰いを抑えるしかないからの。罰とはじまりと吾が月、そして竜と太陽と真の風とで、どうにか抑え込む事ができたのじゃ……」
 やはりその時を思い出す様に語るシエラに、テッドはぼんやりとあの大穴で見たものを思い出した。中央に据えられた闇、それを取り囲む様に配された紋章達。あれが眠るティルと猛るソウルイーターを抑え込む図だとはさすがに思わなかったけれど。
「あの子が目覚めぬのも、分からんでもない。吾が逢うた時、あの子はもう心を病んでおったよ。よくもまあ、あれだけの時間を耐えたものよ……あれは人の身に過ぎた力、精神を蝕み食んでゆく……眠らせておいてやりたいと、吾は思うのじゃ」
 切な気に細められた眸に、テッドはシエラの優しさを見た気がした。ティルをあの子と呼ぶシエラは、まるで子を慈しむ母の様にも見える。
「あの子を起こしてまでして、今更逢うてどうするのじゃ。あの子が望むまま、世界の終わりを夢見るが如く、安らかにあるというに、それを妨げる等吾にはできぬ。そっとしておいてやるのはいかぬと申すか?」
 そう感じてしまったからだろうか。シエラにそう問われて、テッドは言葉に詰まった。ティルがそんなに追いつめられるだなんて、考えていなかった。ただ、生きていて欲しいと思ったのだ。
 願ってはいけない事だっただろうか。
 言い返そうと口を開くけれど、言葉は紡がれる事は無く閉じて。そんなテッドとシエラの間に割って入ったのはアノイだった。
「…………シエラ、それを決めるのはシエラじゃないよ。テッドであり、ティルだ」
  諭す様に言って聞かせると、シエラは一瞬だけ泣きそうに顔を歪ませる。それからアノイはテッドに向き直って言った。
「テッド。ティルはね、ずっと君だけを待っているんだよ。もう、ずっと、ね」
 その言葉を聞いて、今度はテッドの顔が歪む。
 ティルは一体どんな気持ちで俺を待っているんだろう。
 もう二度と訪れない人を、どんな気持ちで待ち続けているんだろう。それを思ったら言い様の無い慟哭の衝動に襲われた。その中に歪んだ喜びを見つけてしまって、テッドは泣きたい衝動をやり過ごす。
「すまぬ……ちと感傷的になっておった。当たってしまって悪かったの……はじまりに連絡をつけておいてやる故、レックナートに助力を請うて来い。あそこの小僧に送って貰うと良いじゃろう」
 力なく笑ってそう言うシエラに、少しだけ彼女の気持ちがわかる気がした。






「ところでテッド」
「あ?」
「全然関係ないんだけど、遺跡って?」
 二人が落ち着いた頃合いを見計らってアノイが尋ねる。
「ああ、なんだか知らないけど、俺、大穴の横穴にいたんだ」
「成る程。ってことは壁画見たんだ?」
「見た。けど、あれそんなに古いもんじゃないってことだろ? 聞いた話」
「あれは太陽の童が描かせた代物じゃな」
 黙って聞いていたシエラが、アノイに次の茶を要求しながらそう言った。
「何でもまた同じような事をしない様にとの戒めだとかなんだとか言うておったが……人が繰り返す事を止めるとは思えぬがの」
「ファルには悪いけど、同感かな」
 ポットから紅茶をついでシエラに差し出しながらアノイも同意する。
「…………人ってさあ、結局何年経っても、変わんねえもんなんだな」
 コイツら全然変わってねえ。失敬な奴めとか君だって変わっていないじゃないかとか聞きながら、テッドはつくづく思ったのだった。