バナーの村で会ったその人は、トランの英雄なのだとシーナやルックなどの三年前を経験した仲間から聞いて知った。 物静かで穏やかで、そしてとても強くて。 コウという毒に侵された少年を連れてトランの名医の元へ駆ける彼は酷く冷静に、そしてどこか必死に見えた。 それは微かな憂鬱の惑い リュウカン医師にコウ君を預けた後、英雄──ティルさんと言うのだとレパント閣下から聞いた──はほっとしたような表情を浮かべて、追い縋るレパント閣下(シーナが目頭を押さえていたので間違いないと思う)を軽くあしらって大統領府を後にした。僕も僕で閣下に謁見をすませた後、彼の英雄を訪ねてみようと思ったのは、単に閣下の解放戦争時代の彼の様子を聞いて興味を覚えたからだけではない。聞くにも酷い戦場を潜り抜けてなお、優しく穏やかに笑っていられる彼自身と話してみたくなったからだ。 レパント閣下への謁見を終え僕たちメンバーも大統領府を後にする。滞在日数ははっきりとは決めていないが、此処までの行程を考えると今日明日は宿を取っても構わないだろうと思う。取り敢えず三時間後に中央広場の噴水前でと取り決めて、自由時間にすることにした。 「シーナ、特に用がないならちょっと付き合ってくれない?」 各自解散と告げた後にシーナに切り出せば、彼は構わないぜと同行に加わってくれる事になった。 「私も行く!」 それを見たナナミが言うけれど、僕はちょっと困って首を振る。 「ナナミはダメだよ。ほんと、ちょっとした野暮用なんだ。アップルたちと一緒に女の子同士で買い物しておいでよ」 「えー、なんで? おねーちゃんの言うこと聞けないって言うの?」 「ダメなものはダメだから」 物凄く不満そうなナナミをアップルらに託し、僕とシーナは並んで歩く。 「珍しいな、お前がナナミにあんな強気で出るなんてさ」 面白いこともあるものだと言いたげにそう言われ、僕はやや憮然として答える。 「僕がどこ行きたいか分かって言ってる?」 「ティルのところじゃないのか」 「ナナミはさ、そういうの、駄目なんだよ」 僕が紡ぐとシーナは少し黙考してから僕を見た。 「そういうの、って」 意図が伝わったのか、彼は言を切る。 ナナミを連れていけば、きっとティルさんを傷付ける事になると思う。自分の姉を酷く言うのは憚られるけれど、お世辞にもナナミは人の死に対して敏感であるとは言い難かった。また失った人に対しても然りで。ティルさんを傷付けるのも嫌だったけれど、傷付けた事に傷付くナナミを見るのも嫌だった。 彼の人の家にシーナの案内で向かう途中、シーナから見た解放戦争時代の話を聞いた。 彼は年が比較的近かったためか、ルックと共に彼の英雄と行動を伴にする事が多く、沢山のものを目にしたようだ。グレミオという兄とも親とも慕っていた人を亡くした事、パーンという人が足止めの為に残り帰ってこなかった事、血の繋がった父をその手に掛けた事。テッドと言う名の親友が自分の目の前で死んだ事。最後まで残っていたクレオという人も終戦間際に彼を庇って倒れたのだそうだ。 戦いが彼から全てを奪っていった。だから彼がこの国を去ったとき、誰も彼を引き留められなかったのだと、どこか寂しげにシーナは言った。 案内されたトランの英雄の家は、とても大きな家だった。三年前から無人らしいが、あまり荒廃していないのは何時か彼が帰ってきてもいいように二月に一度手を入れているのと、年に一度ほど主がふらりと戻ってきたりするかららしい。 豪奢な古びたドアを叩いても、中から返事は返らなかった。 庭には干された白いシーツが風に遊ばれながら翻っていた。 どうしようか簡単にシーナと相談した結果、先に宿を取り明日にでも改めて訪ねようという事で落ち着いた。 宿へと向かう道すがら、大きな紙袋を抱えたティルさんに会ったのは偶然だった。 「ティル」 「シーナ、さっきぶりだね」 シーナが声を掛けると、僕たちに気づいた彼は振り返って軽く答える。 「同盟との話は巧くいった?」 「はい」 尋ねられ頷けば、よかったねと微かに笑って彼は言う。 「これからどうするんだ?」 「家に戻るつもり」 もう少し片付けけないと、そう言った彼は年相応の笑みを浮かべ、 「お茶くらいは出せるよ」 そうやって僕らを家へと招いたのだ。 玄関ホールから縦に長い大きなテーブルが置かれた広間へと案内されながら、僕は妙な違和感を覚える。いくら手をいれているとはいえ、無人のはずの住居は短時間でここまで綺麗になるものだろうか。 「まだここと自分の部屋と台所くらいしか片付いてないんだ」 綺麗に洗われたカップとポットを盆に乗せて、階下にある台所へ行っていた屋敷の主が戻ってくる。 「改めて、僕はティル。しがない根無し草だ」 ポットから湯気を立てる紅茶が注がれたカップを進められながら、僕も改めて名乗る事にする。 「同盟軍のリオウです。軍主やらされてます」 「やらされてる、ね」 聞いていたシーナが紅茶を飲みながら苦笑した。 最初から象徴の為の飾りだって言うことを僕は理解している。だから誰かが何か言えば、僕は直ぐにでもその人に全て任せるつもりだ。誰も何も言わないから、僕はまだ此処にいる。 「君は本当は降りたいんだね」 まるで見透かされたような台詞の後に、僕もそうだったと少しだけ困ったように彼は首を傾げて言った。 「コイツ、一度降りかけた事があるんだぜ」 「そうなんですか?」 少し意外でそう問えば、ティルさんは目を細める。 「革命はね、革命しようとする志しのある人間がやるべきなんだよ」 そう言いおいて、トランの英雄と呼ばれるその人は慈しみに溢れた顔でティーカップを両手で包み込む。 「全て終わった今でこそだけどね。僕は正味な話、革命どころか赤月帝国自体に興味がなかったんだ。国が傾こうと革命が起きようと、何れは出ていく国でしかなかったから」 さらりとやった事の正反対な意見を言われ、どう返せばいいか迷った僕は思わずシーナを見た。シーナは軽く肩を竦めてみせる。 「解放軍の上層部は誰もみんな知ってた。実際降りかけた時だってフリックが突っかかっていって、すんなりと降りようとしたのを周りが必死になって引き留めたんだ」 衝撃の事実に僕は息を呑む。同じようになれば、きっと僕も同じ事をするだろう自信がある。初めから、僕は僕とナナミ、ピリカの事しか考えてないのだから。 「責めるのであれば、それに見合う行動が必要だろう?」 優しい表情で当然のように言ったこの人は、きっと厳しい人なのだろう。同じ様な行動でもきっと絶対的に違っているのだ。 「最初引き受けた時、補佐が──フリックね、フリックが戻って来るまでって話だったから」 この話はおしまいと、ティルさんは手持ち無沙汰に弄んでいたティーカップから手を離して立ち上がる。 「もう宿は取ってしまった?」 「これからです」 答えれば彼は悪戯っ子のように笑って言った。 「何もないし古臭くてちょっと掃除をしなきゃいけないけど、夕飯くらいは振る舞うよ。一晩どう?」 「宿泊無料ですか?」 切り返す様に尋ねた僕に、ティルさんは笑みを深くして応じる。 「もちろん!」 自国の英雄の口振りにシーナが嘆いた。 「お前、他の奴に向けて一晩如何なんて絶対言うなよ」 一度集合場所に戻ってから再度此処を訪れる事になった僕とシーナを、ティルさんは門前まで送り出してくれた。 振り返り手を振り返した拍子に目に入った庭には、昼間見た風に翻る白いシーツは見えなかった。 そういえば通り抜けた玄関ホールも入っていったときより綺麗になっていた気がする。 無人だってシーナも言っていたし、使用人はいないはずだ。 庭に干されたシーツは、一体誰が取り込んだ? ティルさんはずっと僕たちと一緒にいたはずだけど……お茶を淹れに階下に降りた時、取り込んだのかもしれない。 「シーナ」 「ん?」 「ティルさんの家、お化けが出るとかそういう話ある?」 それだけ聞けば、シーナは少し考えてから不思議そうに答えてくれる。 「俺が同盟の方をぶらつき始めたのが一年くらい前だから、それより前の話になるけど、何か出るとかそういう類は聞かなかったな……」 勘のいいシーナは、僕の問いに眉を寄せて問いかける訳でもなく呟いた。 「アイツ、何時の間にシーツ取り込んだんだろうな」 僕だけが思ったんじゃないんだと、奇妙な安心感を得る。 「時間までもう少しあるけどどうしようか」 それ以上深く考えたくなくて、割と関係ない話題を振ればシーナも直ぐに食いついてきて。なんとなく考えたくないのは一緒なんだろうなとこっそり安堵の息を吐いた。 やっぱり何かおかしいのだと思ったのは、みんなと一緒に再度マクドール邸を訪れてからだ。本日二度目の訪問になる僕とシーナは戸惑った。 此処を出たのはおよそ一時間程前で、お茶を飲みながら少なくとも二時間近くは話をしたと思う。その時点では台所と広間、ティルさんの自室しか片付いていないと言っていたはずだ。 たった一時間のうちで、八つも部屋を掃除できるのって、変だ。シーナによると、ティルさんは物を整理するのは割と得意らしいけれど、掃除をするのは苦手だったそうだ。少しは上達してはいるだろうけど、一部屋これだけ綺麗にするとなると一時間でそう何部屋も掃除できないだろう。挙げ句、料理までなんて絶対無理だ。 それをやってのけたティルさんを信じられないと思ってしまうのは仕方ないと思う。実際、シーナも変なものを見るような目でティルさんを見ていた。 「ねえ」 今まで呆気にとられていた様子だったルックが眉を寄せて声を出す。呼び掛けられたティルさんは勝手に内容を定めて話し出す。 「残念だけど、ベッドメイキングは各自でお願いしてもいいかな」 得意じゃないんだ、と苦笑している様子に偽りはないように見える。 「無視しないでよ」 ヒュッといい音を立ててルックのロッドが振り降ろされる。 「ルック、危ないよ」 危なげなくそれを避けて、ティルさんは少しもそう思っていなさそうにいう。何処がと言い捨ててルックが切り出す。 「僕が前に言った事、あんたは忘れたってわけ?」 言葉の端々からちょっと苛ついてるらしいのが判る。なんとなく棘のある言葉に、ティルさんは苦笑する。 「ルック、その話はまた後で」 でもきちんと覚えてるから安心して、そう残してティルさんは僕らを部屋に案内してくれた。 「客間を三つ掃除したんだけど……奇数人数だったとはね」 迂闊だったよ、とティルさん。 「偶数でも男女半々だった場合とか考えなかったのか」 シーナが呆れたように言うと、全然考えもしなかったと返事が返る。 「あー……お前ん時は強行軍が多かったからな」 「……そうだね」 妙にしみじみ語る元解放軍面子に、黙って様子を見ていたアップルが苦笑しながら口を出した。 「確かにバラバラに帰ってくる事、多かったわね」 「……一体どんな道中だったんだ」 今まで口を挟まず成り行きを見守っていたオウランが遂に口を挟んだ。 「あれは酷かった」 ルックが饒舌に語る。 「お前が一番被害に合ってたもんな」 頷くシーナに心の中で突っ込んだ。何があったんだ。 「コイツは此処からバナーくらいの道のりを平気で往復させる」 顎で示しながら元被害者は語る。 「仲間全員にはぐれる事を前提にすり抜け札を持たせて、見失ったら本拠地合流なんて抜 かす」 「気が付いたらルックが居なかったとか、割と当たり前になってたしな」 それが当たり前なのはまずい気が…… 「それでも女は連れていかなかったって事は気遣ってはいたんだね」 アイリの言葉にシーナは同類を見るような目でティルさんをみて、ふふんと笑う。 「コイツもフェミニストだからな」 「次に出るときには定位置に戻ってきてたじゃないか。それに女性に優しくするのは当た り前、シーナのは行き過ぎ。もう終わった事だよ」 あっさりと切り捨ててティルさんは客間へと案内した。 「一人だけ離れちゃって悪いんだけど、此処使って貰えるかな」 そう言って案内されたのは、一階の階段横にある一室だった。簡素なベッドと机、本棚以外には物のない部屋で、机の上には花の活けられていない素朴ながらも品のいい一輪挿しが飾られている。 「親友の使ってた部屋なんだ」 何気なく付け加えられて、僕は思わず振り返った。 「いいんですか」 「ん?」 なにが? と首を傾げられ、何だか複雑な気分だ。 「だから」 「構わない、気にする必要はないよ」 まるで年下に接するみたいに頭を撫でられて。 「あまり物はないけど、好きに使うといい。荷物をおいたら広間に来てね。夕飯にしよう」 また後でと言い残し、ティルさんが部屋を出ていく。何となく、撫でられた頭を触ってしまう。 気を取り直した僕は改めてぐるりと部屋を見回した。本当に物ない部屋だと思う。 ベッドの上に手荷物を放り出して、僕は本棚を覗き込む。その本棚は難しそうな本が沢山あるわりに、明らかに娯楽と判る本や子供向けの童話の類など幅広く集められていて、統一感がまるで感じられない。顔も見たことのないテッドさんという人が、一体どんな人だったのかまるで想像がつかなかった。 彼の事をティルさんに聞いてみてもいいのだろうか。僕は幸いなことにまだ大切な人を亡くしていない。だからそれがどれ程の痛みなのか分からないが、僕とていつかは知るだろう。先の終戦から三年、短いといえばそうかもしれない。まだ触れない方がいいのか判断がつかなかったので、食後にでもルックかシーナに相談してみようと思った。 寝る前には本を借りて読もうと思う。トランの童話はなかなか好きだ。ちょっと後味の悪いところとかがいいのだと前にナナミに言ったら、趣味が悪いと言われたのを思い出した。 階段を上がって二階の広間へ行くと、テーブルの上にはホカホカと湯気を立てる料理が並べられていた。僕が一番乗りのようで、まだ誰も来ていない。どうしようか迷っていた所に、ワインの瓶を持ったティルさんが入ってくる。 「早かったね? こっちへどうぞ」 勧められて、断る理由もなく僕は椅子に掛ける。 改めて料理を見ればシチューと手間のかかる物が多い気がする。 「よく時間がありましたね」 ちょっと驚いて尋ねると、ティルさんは悪戯が成功したみたいな笑顔で言う。 「実はちょっと手伝って貰った」 それを聞いて、手伝ってくれる人がいたんだと少しだけほっとした。何にほっとしたのかは自分でもよく分からなかったけれど。 近況報告のような食事会は中々楽しかった。ティルさんは一体何処で何をやっていたかを話してくれたし(主に彼方此方で釣り三昧だったようだ)、僕が同盟軍軍師が提案した恐るべき袋叩き大作戦を話すと興味深そうに頷いてから「是非一度お目通り願いたいものだ」と妙に感心していた(何に感心したのかは敢て考えないようにする事にした)。 シチューに口をつけていた時のシーナの反応が少し気になったけれど、それ以外は全く普通の食事だったと思う。シチュー自体は全く普通の……いや、絶品のシチューだったと思う。後でこっそりレシピを教えてもらおうと心に決める。 「食事は大勢だと賑やかでいいね」 特に女性がいると華やかでいいよね。さらりと漏らされた発言に何となくシーナと同類めいたものを感じたけど、むしろティルさんの方が偽りなくナチュラルに言っているような気がする。ジョウイもそう言えばナチュラルフェミニストな気があったような気がしないでもない。貴族出の人ってみんなこんなんなのだろうか(知り合いはそんなに多くないので比較対象は少ないけど)。 ちょっと脱線したけれど、言われた女性陣(ナナミ含む、アップルは除外)は悪い気はしなかったようで終始楽しげな話題に花を咲かせた。 片付けを手伝うと申し出たものの、客にそんな事はさせられないと最もな事を言われ、結局僕は引き下がるしか出来なかった。結構人数が居たから大変だといったのだけど、ティルさんは意外と頑固なのだと分かっただけだった(見れば分かるだろうとルックには呆れられたけど)。 とりあえずシーナとルックの部屋へ行く。ティルさんとの会話から、ルックは何か知っていそうだったし、シーナの反応もちょっと気になっている。それにテッドさんの事を尋ねてみてもいいものか相談もしたかった。 「……何か用」 ドアをノックすれば、何故か幾分機嫌が悪いらしいルックが出て、呆気にとられた。思わず沈黙してしまうと、用も無いのに来るなと言わんばかりにドアを閉められそうになり慌てる。 「ちょ、閉めないで!」 「ならさっさと言いなよ」 心持ちイライラしているようで、ルックはドアを開けて仁王立ちする。隙間から向こう側が見えて、シーナと目が合うと笑われた。なに、タイミングが悪かったと言いたいのか。全くだ。 「ちょっと聞きたい事あるんだけど、いい?」 問えばルックは傍目で分かるほど眉間に皺を寄せて、体を少し端に寄せた。それを了承の意だと解して、僕は部屋の中へと体を滑り込ませる。 「それで?」 「何、聞きたい事って?」 ルックは後ろ手にドアを閉めながら、シーナは笑いをかみ殺しながら(何がそんなに嬉しいんだこの人は)それぞれ僕に聞いてくる。 「あのさ、ご飯食べてる時のシーナの反応が気になった」 「直球だな」 アンタに言われたくないよ。 「で?」 そのまま先を促せば、シーナは顎を掻きつつ小さく息を吐く。 「知ってた味に似てた。ってか同じだったからな」 「変な事なの?」 「まあ、割と?」 ニュアンスはあり得なくもないような感じだったので、とりあえず納得して今度はルックに向き直る。 「ルックは何か知ってるの?」 「何かって何さ」 シーナ的に言えば「直球」に尋ねれば、ルックは読めないけれどいつもより不機嫌そうな顔で打ち返して来た。なんだか取り付く島も無いような気がするのは気の所為じゃないと思う、割と。 「何か変な感じがするんだよねってシーナと話してたんだけど、ルックは何か知ってそうだなと思った」 「それを聞いてたら、お前が来たんだよ」 苦笑しながらシーナが言う。 「…………まあ、悪くない予想だね」 眉間の皺を深くしながら、ルックが口を開く。 「でも君には話せない。君もデリカシーが無い訳じゃないから、アイツの持ってる紋章に触れる事を僕が言うべきじゃない事くらい分かるでしょ。アイツが君に話したら、僕もそれを話してやらない事も無いけど」 一端言葉を区切って、ルックはシーナに向けていった。 「本当はアンタにも僕から話すべき事じゃない。此れは限りなくプライベートな問題だって事」 ルックは毒吐きだけど、本当はどうしようもなくいいヤツだって分かってるから、その言葉がティルさんを慮っている事が伝わってくる。 「分かった」 素直に頷く僕とシーナに、ルックは安堵したように(見えた)息を吐く。 「あとね」 テッドさんの事を聞いてみても大丈夫かと相談すれば、シーナはちょっと難しい顔をした。 「正直な話、結構平気そうにしてるだろうと思う。が、避けた方が無難だろうな」 「大丈夫でしょ」 さらりと正反対な事を言ったルックに、シーナが苦虫を噛み潰した顔をする。 「お前な」 「アイツはそんな事でショックを受ける玉じゃないでしょ。ショックだったらそれこそこっちが衝撃だね」 ルックから見てティルさんってどんな人なのか、ちょっと気になった。 結局そこそこ話し込んだ後、僕は二人に宛てがわれた部屋を後にした。 手持ち無沙汰になってしまったので、どうしようか少し迷ったけれど結局、充てられた部屋へと戻って本棚からさっき目をつけた本を借りて読む事にする。 僕に宛てられたティルさんの親友が使っていたという部屋のドアを開くと、不意に僅かな気配を感じる。何だろうとそこそこに広い部屋を見回すものの、部屋には僕以外の人はいない。 見られている、そう感じたけれどそれは確かなものではなく。そして敵意や悪意を感じる視線でないのもまた事実。 なにか変化を捜して、部屋をよく見渡せば、机の上に一枚、紙が置かれているのに気が付いた。それは部屋を出る前には確かになかったはずのものだ。 シーナ達の部屋を訪ねている時にでも、ティルさんあたりが訪ねて来たのだろうか。ナナミや他の面子は書き置きなんてせずに、捜しにくるはずだ。 悪い事をしてしまったと思いつつも、僕は机の上の紙を見た。そして思わず動きを止める。 紙には真ん中に小さい字で短く書かれていた。 『暗いよ……怖いよ………寂しいよぉ……』 使われたと思われる羽ペンがインクを散らして紙を滲ませている。 これは一体何の悪戯なのだろう、わざわざ僕を怖がらせる為にやっているのだろうか。 羽ペンを脇に避けて紙を手に取ると、後ろの方から誰かの笑う気配がして振り返る。振り返りながらこんな事をして何が楽しいんだと本気で思った。 けれど、そこには誰もおらず、扉は僕自身が閉めたままで誰かが開ける気配も、その向こう側に居る気配も感じられない。 血が急激に下がっていくような感じがした。ともすれば震えだしてしまいそうな手に力を入れる。心臓の鼓動の音が、やけに大きく聞こえる。 「……悪戯、ですよね」 自分で呟いて、だとしたら質の悪い悪戯だと思う。 ティルさんがやったのだと思い込みたくて、むしろそう思い込むことで自分を平静で居させようとしているのは分かってる。 後ろでカタッと音がして、自分でも信じられないくらい肩が跳ねた。 結局僕は、一人でいるのに耐えきれずに部屋から飛び出した。 それが悪戯だと確認する為に、向かう場所は決まっている。 この家の主、ティルさんの部屋に。 「ティルさん!」 ノックなしに勢い良く扉を開けた僕は、後から考えてみると相当余裕が無かったんだと思う。ベッドに腰掛け本を読んでいたティルさんが、裏返った声で名前を呼ばれて顔を上げる。 「あぁ、リオウ」 少し驚いたように僕を呼んでどうしたのと尋ねられて、僕は手に持っていた紙を突きつけて縋るように言う。 「これ、ティルさんの悪戯ですよね?」 もう半分以上、そうであって欲しいという願望で出来上がっている言葉だが。 「…………」 立ち上がって僕の手から紙を受け取ったティルさんは困ったように笑っていった。 「残念だけど、これは僕の手紙じゃないよ」 僕の持ち込んだ手紙をまじまじと見て、ティルさんは少しだけ苦笑してみせる。 「これは、テッドだね」 「…………え」 ティルさんが口にした名前が意外で、そしてあり得ないはずの名前を聞いてしまって、僕は一瞬反応が遅れる。固まっている僕を置いて、ティルさんはテッドの字だと断定する。 「ごめんね、驚いたよね」 アイツ、悪戯好きだから。何でもない事のようにそう言われて、そう納得してしまいそうになりつつも僕は言葉を返す。 「え、と、テッドさんって……」 亡くなった方ですよね、とはさすがに言えなくて。途中で言葉を区切った僕に、ティルさんはなんだか当たり前のように切り出した。 「姿は見えないんだけどね、今此処にテッドは居るよ」 「…………それは幽霊ってヤツですか?」 「どうなんだろうね。僕には彼らが幽霊とは少し違うように思うけど、普通からしたら幽霊と一緒なのかも知れないね」 ティルさんは穏やかに笑って、そう言った。僕には幽霊かどうかのその違いは分からなかったけれど、そこにテッドさんが居るのだと言う事は不思議とすんなり理解した。その事実は自分の中に、驚く程すんなりと落ち着いた。 「幽霊じゃないんですか?」 「うん。といっても、多分僕以外にはあまり関係ないと思うし、結局そう変わらないのかも知れないから」 ちょっと困ったように眉が寄って、ティルさんはそう言う。だから僕は聞いてみた。 「どう違うんですか?」 「聞いてどうするの?」 ティルさんは少しだけ興味を示したように聞いてくる。だから僕は正直に答える。 「どうもしません」 ただ僕が聞いてみたいだけだった。特に理由もないし、どうしようと言う気もない。そう言うと、ティルさんは興味深いというように笑って、 「みんな、ソウルイーターに属しているようだから」 そう言ったのだった。 |